日本癌治療学会がん診療ガイドライン事業開始にあたって

日本癌治療学会特任顧問
北島政樹(慶應義塾大学医学部外科)

日本癌治療学会は会員約1万5千人を越えるわが国最大のがん治療を横断的に研究する学会である。所属会員のほとんどはそれぞれ診療科ごとの専門学会に属しており,互いの診療科の状況等を把握しにくい現状がある。このため,会員が,年1回の学術集会や学会誌International Journal of Clinical Oncology誌上で,自らの専門領域ばかりではなく他診療科におけるがん治療の現状を知り,がん治療全般におけるState of Artsを知るばかりではなく,当該専門科における新たな治療法の開発における刺激を得ることが可能であるという点で,日本癌治療学会の果たす役割は大きいと思われる。欧米で本学会に対応する学会はAmerican Society of Clinical Oncology (ASCO)やEuropean Society of Medical Oncology (ESMO)であり,当学会の英文名はJapanese Society of Clinical Oncology (JSCO)となっている。

「日本癌治療学会がん診療ガイドライン」は当初「臨床腫瘍データベース」の名称で事業が開始された。無数の玉石混交の論文からエッセンスとなる論文を抽出して構造化抄録を作成し,evidence-based medicine (EBM)の基本となるデータを蓄積し,本学会会員のみならずすべてのがん診療に携わる医師や国民に広く情報を公開することを目的とするものである(図1)。 「日本癌治療学会がん診療ガイドライン」は,これらのデータベースを基本に実際の臨床がん診療指標を示すものである。そもそもガイドラインとは,90% 以上の適応を有する標準治療や,100% 守らなければならないregulationとは異なり,医師の自由裁量権を十分に考慮した指針である。このことは,日本医療技能評価機構のMindsを初めとしてすべてのガイドラインに明記されているにもかかわらず,昨今法廷などでガイドラインが100%守らなければならないかのごとく用いられており,この点は特に強調しておきたい。

本邦では日本胃癌学会が2001年3月に「胃癌治療ガイドライン」を公表し,2004年4月には既に第二版が発行されている。「胃癌治療ガイドライン」は1999年6月に開催された第71回日本胃癌学会総会(中島聰總会長)の際に企画されたシンポジウム「胃癌の標準治療の確立」を契機に開発されたが,くしくも同年10月の第37回日本癌治療学会総会(佐治重豊会長)教育セミナーにおいては「臓器癌別の標準的治療」に関する講演が開催されている。これらの学会活動に並行して,厚生労働省は胃がん,乳がん,肺がんに関する診療ガイドライン研究班を発足させ,次いで肝がん,前立腺がんの班会議が加えられ,5がん種のガイドラインが国費により作成されて日本医療機能評価機構(Minds:http://minds.jcqhc.or.jp/to/index.aspx)により広く国民に公開されることになり,2007年3月現在胃がん,肺がん,肝がん,前立腺がん,軟部腫瘍のガイドラインがアップされている(図2)。

一方,各個別専門学会では当該疾患に対するガイドラインの作成が精力的に行われ,現在では以下のごとくガイドラインが公表されている。

  1. 食道癌治療ガイドライン 2002年12月版 第 1版
  2. 胃癌治療ガイドライン 医師用 2004年4月版 第 2版
  3. 大腸癌治療ガイドライン 医師用 2005年版 第 1版
  4. 科学的根拠に基づく肝癌診療ガイドライン 2005年版 第 1版
  5. 科学的根拠に基づく膵癌診療ガイドライン 2006年版
  6. EBMの手法による肺癌診療ガイドライン 2005年版
  7. 科学的根拠に基づく乳癌診療ガイドライン(1)薬物療法2004年版
  8. 科学的根拠に基づく乳癌診療ガイドライン(2)外科療法2005年版
  9. 科学的根拠に基づく乳癌診療ガイドライン(3)放射線療法2005年版
  10. 科学的根拠に基づく乳癌診療ガイドライン(4)検診・診断2005年版
  11. 科学的根拠に基づく乳癌診療ガイドライン(5)疫学・予防2005年版
  12. 乳腺における細胞診および針生検の報告様式ガイドライン 第 1版2003. 6. 5
  13. 卵巣がん治療ガイドライン 2004年版 第 1版
  14. 前立腺癌診療ガイドライン 2006年版

すなわち6冊のガイドラインを有する乳癌に加えて食道,胃,大腸,肝,膵,卵巣,前立腺がんの計8がん種のガイドラインが個別専門学会から公表されている。 さらに胃,大腸,乳がんの3がん種については「ガイドラインの解説」として一般向けのガイドラインが発行されている(いずれも出版元は金原出版)。

  1. 胃がん治療ガイドラインの解説 一般用−胃がんの治療を理解しようとするすべての方のために 第 2版2004.12.20
  2. 大腸癌治療ガイドラインの解説 2006年版 第 1版
  3. 乳がん診療ガイドラインの解説 2006年版 第 1版

日本癌治療学会では,これらの背景をもとに学会独自の努力により「日本癌治療学会がん診療ガイドライン」の確立を試みてきた。特に第37回総会佐治会長は本事業の担当委員会であるがん診療ガイドライン委員長としてデータベースの確立に多大な労力をさかれ,さらに踏み込んだ標準診療ガイドラインを23がん種6診療方法について公表することに邁進されてきた(図2)。本学会が横断的学会であることは長所でもあるが,自らの専門科に比して他診療科に関する知識に乏しいことや,各専門学会のガイドラインに対する取り組みに温度差があるなどの困難な面も内蔵していた。このため「日本癌治療学会がん診療ガイドライン」の公開時期が当初予定よりも遅れたが,幸いにして厚生労働科学研究費が支給され当該領域専門学会がガイドライン公表に積極的であった胃がんと乳がん,および日本婦人科腫瘍学会でガイドライン作成が進められてきた卵巣がんについて,他がん種に先駆けてのガイドライン公表が可能となった。また平成17年度には平田担当理事のご尽力により, 本ガイドライン委員会に厚生労働省医療技術評価総合研究事業費「がん診療ガイドラインの適用と評価に関する研究」が支給されることになった。米国ではNational Cancer Institute(NCI)のPhysician Data Query (PDQ)やNational Comprehensive Cancer Network (NCCN)の情報がネット上に公開され,誰でも自由にアクセスできるばかりではなく,最新の論文を加えて絶えざる更新がなされている。患者の自己決定権を保障し真の意味のinformed consentを得るためには,学会による客観的ながん治療のState of Artsを示すことは極めて重要であり,本がん診療ガイドラインの公表が本邦におけるがん治療の進歩に一助となれば幸いである。